祇園祭と山鉾の由来!ユダヤ説とベトナム説?
日本3大まつりの1つに数えられる 京都の祇園祭ですが、
祭りの由来にとても興味深い説があります。
「祇園」という名称の由来自体にも諸説あるようで、
古代イスラエルの王「シオン」から来ている!
・・・という説があります。(・・) エッ?
祇園祭は、1ヶ月という長期のお祭りですが
イスラエルの「シオンの祭り」も1カ月間行わます。
しかも、その日程にも共通点があるのです!
罪や過失を償い綺麗にすることを「贖罪(しょくざい)」といいます。
その贖罪の日と神輿を洗って綺麗にする日が、同じ7月10日で
ある点も驚きです。
さらに、それを裏付けるかのように、
山鉾の周囲を飾る刺繍のデザインも、
なんと!
西洋文化のデザインで周囲が覆われているのです!
何しろ・・・
エジプトのラクダ
ピラミッド
旧約聖書の創世期の24章の絵柄
まで描かれているのです!
画像検索で、「祇園祭 イスラエル」・「祇園祭り 山鉾」 などを
キーワードに検索すれば、山鉾のデザインの不思議さが分かるはずです。
「ホントに日本のお祭りなの?」と驚かされます。
また・・・
山鉾巡行の7月17日は、イスラエルの聖なる日
ノアの箱舟が、アララト山にとどまったとされる
「新たな始まり」を意味する日というものです。
一般的にいわれている祇園祭の由来は、疫病を鎮めるために始まったものですが、
それも、シオンの祭りと一緒です!
疫病を鎮めるために始まったお祭
祇園祭の起源は平安時代初期にさかのぼります。当時、京の都では疫病が流行していました。人々はその原因が恨みを現世に残して死んでいった人々の怨霊の祟りであると考えました。そこで神仏に祈りをささげて祟りを鎮める事を目的に、市中を練り歩く「御霊会〔ごりょうえ〕」を行いました。祇園祭はこの行事の一つで、869年に行われた「祇園御霊会」が始まりであると考えられています。
11世紀になると現在の祇園祭のシンボルである山鉾が登場しました。やがて山鉾は年毎に流行した物を題材として、年々変化し、洗練されてゆき、南北朝時代には益々華麗に、そして大規模になっていきました。その後、応仁の乱が原因で祭が中断された時期もありましたが、江戸時代初期頃には現在の祇園祭の様式に定着しました。(「日本文化いろは事典」より)
お神輿(みこし)の意味も、古代イスラエルの「聖なる箱」
を意味しているのではないか?とのことです。
「聖なる箱」とは、映画インディージョンズの
「失われたアーク」でお馴染の、
イスラエルの「三種の神器」が納められている箱です。
ちなみに、イスラエルの三種の神器は
マナの壺
アロンの杖
・・・と呼ばれるものです。
また・・・
お神輿は、古代イスラエルの移動式神殿と酷似
しています。
お神輿と、イスラエルの移動式神殿の
共通点としては・・・・
金で覆われている
移動式の神殿
一説には、イスラエルにいた12の支族のうちの、
行方の分からなくなった「10枝族」のうちのどれかが
はるばる日本にまで来ていたのではないか?
・・・という考え方がされています。
お祭りの際の、掛け声である
「エッサ!エッサ!エッサ!」 ですが、
「エッサ」は、ヘブライ語で「運ぶ」を意味する単語です。
つまり、日本語にすると・・・
「運べ!運べ!運べ!」
・・という、掛け声になります。
ちなみにですが・・・「君が代」 の歌詞を、ヘブライ語に当てはめると、
次のようになるという「かなり怪しげな説」を説いている人もいます。
ベトナム「太陽神」説
「祇園」の名前の由来には、イスラエルの「シオン」説のほか・・・
ベトナム語の「ヂオン」=「太陽」との説もあります。
海洋民族の島国日本ということで、海を越えて
共通の祖先からの伝承があるのでは?という説です。
このような歴史ミステリーを知ってから見にいけば、よりいっそう楽しめるのではないでしょうか?
祇園祭の日程
見どころの日程は次の通りです。
「山鉾巡行」 (前祭7月17日・後祭7月24日)
「神輿渡御」 (7月17日)
宵山、宵々山、宵々々山には旧家や老舗にて伝来の屏風などの宝物の披露も行われるため「屏風祭」の異名があります。
山鉾巡行は、重要有形民俗文化財の山鉾が公道を巡るため、「動く美術館」とも例えられています。
祇園祭は「数々の三大祭」のひとつに挙げられていますので、「あれ?そちらでも??」となることもあるでしょう。
京都三大祭 (他は、上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭)
日本三大祭 (他は、大阪の天神祭、東京の山王祭、神田祭)
日本三大曳山祭 (他は、岐阜県高山市の高山祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭)
日本三大山車祭 (他は、前述の高山祭、滋賀県長浜市の長浜曳山祭)
出かける前に、由来や伝説を調べれば、面白さがアップする!