昔の人は「生理の時」どうしてた?何を使った?
昔の女性は「生理」のとき、どのように対処していたのか?
現在ではナプキン、タンポン、月経カップなど生理に処理するための生理用品はたくさんありますが、江戸時代や明治時代にはそういった道具はありませんでした。
では当時の女性達は生理の時どのようにしていたのでしょうか?
本日はその回答をお伝えいたします。
調べてみると、そのものズバリのタイトルの動画を発見したため、解答はその動画にお任せするとします。また、このページの後半では「海外の生理用品や月経カップ&女性だらけの生理談義」の動画も紹介しております。
「昔の人は生理の時どうしていたか?」の答えはこちらの動画で解説されていました。
以下は、1つ目の動画内容の「文字起こし」になります。
【生理の歴史】昔の人はどうしてた?江戸時代から昭和時代までを徹底解説!
謎に包まれた昔の女性の生理事情。
ほとんどの女性が経験することになる生理。一度初潮を迎えるとその後数十年にわたり付き合っていかなければいけません。
現在ではナプキン、タンポン、月経カップなど生理を処理する多様な方法がありますが、江戸時代や明治時代にはもちろんそういった道具はありません。では昔の女性はどのように対処していたのでしょうか?
現代の私たちには想像できない苦労があったのです今回は女性の生理の歴史について深堀りしていきましょうこの動画が興味深いと思われたらチャンネル登録をお願いします。
日本の生理用品の始まりとは日本で生理用品が使われた記録が残っているのは平安時代からでそれ以前の時代を生きた女性たちがどのように生理期間を過ごしていたかについては謎に包まれています。
おそらく枯葉や砂、灰などに経血を吸収させていたのではないかと推測されていますが、経血漏れの心配がいつもつきまといそうな手段ですね。
現代を生きる私たちからすると想像しがたい方法ですが、海外ではいまだ生理用品がない地域もありますそのような場所で生きる女性は、今でも平安時代以前の日本で使われていたようなものを用いて整理を処理しているというから驚きです平安時代頃になると布製の生理用品が登場します
984年に平安時代の石丹波康頼が著述した日本最古の医学書「医心方」に、当時の生理用品について記されており、その記録によると「月帯」と書いて「汚れ布」と読むものが広く使われていたとのことんさらにその布と体の間に経血を吸収するための当て布を挟んで使用していました。
タンポンのように詰めたりすることもあったようですが、経血を吸収するための布は朝やくずなどの食物繊維で作られた布の端切れであることがほとんどでした。
真綿などを使える場合もあったようですが、それは位の高い女性のみ身分により生理用品の質にかなりの差があったのは時代がら仕方ないとも考えられますが、当時の大半の女性が生理期間以下に過ごしつらかったかは想像に難くないことでしょう。
日本では長い間整理は不浄なものとして扱われ、公的にタブー視されていました。
1970年代という最近まで日本各地には生理中の女性を隔離するための月経小屋が点在していたというのですから驚きです。
その価値観は生理用品が使われ出した平安時代の頃からすでに確立しており、およそ1000年もの間続いたことになります。
日本で生理について最も古い記述がされているのは古事記すが、その中では日本武尊が生理中の姫と成功している様子が書かれているので、古事記が著述された712年時点では整理をタブー視する慣習がなかったことが見て取れます。
しかし、平安時代になると中国にならい施行された「定観式」や「延喜式」の中で整理による血の気が音が制度化され、女性はもちろん、生理中出産後にあたる妻を持つ夫も宮中に立ち入ってはいけないという決まりが定められたのです。
日本は世界と比べると、生理用品の開発が遅かった部類に入るのですが、その原因はこういった整理への強いタブー視が原因だとも考えられているようです。
手作りナプキンが普通だった江戸時代江戸時代に入ると端切れの布のほかに、浅草紙という紙も使われるようになりました。
それらの消耗品を局部に当てたり、丸めてタンポンのように詰めたりして、ふんどしのような布で上から固定して生理期間を過ごす女性が多かったようです。
いわば手作りナプキンといったところでしょうか浅草紙というのが現代で言う再生しに値します。女性の生理用品として広く使われていたほか値段も安かったため庶民の間ではトイレットペーパーとしても使われていました。
薄い紙やぼろ布などで生理期間中を乗り切っていた江戸時代の女性たちですが、そんなもので、経血を吸収しきれるのだろうかと疑問を持つ方もいらっしゃるでしょう。
特に現代は経血の量が多いことで頭を悩ます女性も少なくありません。ではなぜ江戸時代の女性たちがこの処理方法で住んでいたのかというと当時の女性は膣の力で生理の血液を漏らさずためることができたそうなのです。
これは江戸時代以降にも言えることなのですが、今のように洋服ではなく和服が主流だった時代の女性は常に着物を着てすり足のような歩き方をしていたことで股間周りの筋肉が発達していました。
膣を締め付ける力も強かったので、自分の意思で膣を締め経血を溜めておき量を足せる時に、尿と一緒に一気に排出するといったことも可能だったのです。
また、当時の多くの女性は出血そのものが現代人に比べて非常に少なかったという理由もあります。
生理痛に悩まされるという人も滅多にいなかったそうです現代を生きる女性たちにとってはうらやましいかもしれませんね。
貴族を除き多くの女性が繊維が荒く、肌触りが良いとは言えない生理用品を使用せざるを得なかった平安時代に比べ、一般の女性たちもやっと紙を使うことができるようになり、生理期間を衛生的に過ごせるようになってきました。
しかし、それはあくまで都市部に住む女性たちの話都市部と地方でまだ格差があった江戸時代、特に農村部に住まう人々にとって神そのものが貴重品でした。
たとえ安価である浅草紙であっても整理やトイレットペーパーなど消耗品として使うなどもってのほか。ではそんな農村部の女性たちは生理期間中通していたのかというと田舎に自生している植物などの天然素材の力を借りていたようです。
綿やススキの穂など、柔らかいものをナプキン代わりに当てたりタンポンのように膣に挿入したりと、人によって対処方法は様々でしたが、中には垂れ流しにする女性もいたとかそのまま垂れ流しとは驚きですが、当時の女性は経血量そのものが少なかったので、たとえ垂れ流しでもサッと拭けば処理が進む程度で気にならなかったのかもしれませんね。
また、農村部では平安時代から続く家を浮上とみなす価値観が色濃く受け継がれていたので、生理期間中は家族と接さないように離れなどで隔離生活を強いられることもありました。
国産生理用品の登場明治時代の整理事情については明治21年に発行された「婦人衛生会雑誌第1号」に詳しく書かれていました。
その中では「月経時に持ちうる不変は必ず新鮮清潔の布にて作るべし、もし古紙を用いるならば、必ず1回洗濯したものを用いるべし」とあり、この時には生理時の衛生管理が重視され始めたことが分かります。
しかし、明治初期の一般庶民はそのほとんどが江戸時代と同じく手ぬぐいで T字型の生理帯を手作りし、浅草紙や布の端切れを局部に当てて経血を処理していました。
その状況が変わり始めたのが明治19年です。脱脂綿が日本薬局方に指定され元々傷の手当用として販売されていたのですが 、濃尾大地震をきっかけに体液吸収に効果がある医薬品として認識されるようになり、一般庶民の間では経血処理用として浅草網などに代わって使われ始めました。
脱脂綿を用いる女性の大半はタンポンのように膣内に挿入していたのですが、その使い方が衛生的に問題視されます。
政府が富国強兵を進めていた当時その土台となる健康で優秀な子供を産むべき女性には、感染症などにかからないよう生理のときも清潔でいてもらわなければならなかったのです。
そこで、上流階級の女性へ向けて明治34年に日本初となる「月経帯」が発売されます。
しかし、日雇い労働者の日給と同じくらいの高価格であった月経帯は、労働階級の女性達にはとても手の届かない代物でした。
そういった女性たちはまだ脱脂綿の詰め物で対処しなければならず、女工の共同浴場の洗い場に使用済み脱脂綿の球がいくつも転がっていたなんてことも少なくなかったようです。
明治末期アメリカでビクトリア月経帯が発売します。日本でも輸入販売されていましたが、大正3年に日本製のビクトリア月経帯が登場しました。
現在では防水機能のあるサニタリーショーツが当然のように使われていますが、そのような月経帯を作る場合に必要な薄ゴムが大正初期までは輸入頼りでした。
しかし、自社で薄ゴムを開発できる企業が登場したことでそういったボトルネックも解消され国産ビクトリア月経帯発売までこぎつけたのです。
履き心地も快適で価格も輸入品の半値ほどであったことから当時としては画期的な商品でしたが意外にもなかなか売れませんでした。
そこでターゲットを所学生に設定し所学校や保護者向けの広告活動を積極的に行うことで販路を拡大しビクトリア月経帯は人気を集めていきました。
この成功を受け大正から昭和初期にかけさまざまなメーカーから月経帯が発売されましたが、ビクトリア月経帯は長い間多くの女性から愛されることとなります。
こうしてビクトリア月経帯が普及したものの昭和に入り、戦争が始まると物資の生産流通が統制されるようになり、月経帯の生産に必要な脱脂綿なども規制対象となりました。
そのため当時の女性たちはチリ紙での経血処理を余儀なくされます。
脱脂綿の代用品として神はたという商品も開発されたもののそれさえも原材料不足で流通が滞っていたようです。
また戦争のストレスや栄養不足などが原因で戦時性無月経という症状にかかり生理が止まってしまう女性も少なくありませんでした。
終戦すると物資規制が段階的に解除され始めここから生理用品が再び普及していきます。
股の部分にゴムが貼ってあるゴム引パンツで脱脂綿を抑えるという経血処理法が普及したもののこれでは心もとなく皮膚がかぶれるなどの欠点がありました。
そんな中、1961年に発売されたアンネナプキンが生理用品界に大きな変化を起こしました。
今の整理女ぷきんにかなり近いもので脱脂綿の5倍以上の吸収力を誇り使用後はトイレにも流すことができました。
このあんなナプキンは爆発的にヒットして日本人女性の標準的な経穴処理法となりました現在広く使われる生理をなく金の元祖とも言えますね。
こうして生理の歴史を一通り見て驚くのは、時代の動きに大きく影響され時には不況を強いられながらも、その都度適応してきた女性たちの柔軟さではないでしょうか。
もし彼女たちが現代のさまざまな生理用品を目の当たりにしたら一体どんな反応をするのか、少し見てみたいとも思ってしまいますね。
海外の生理用品事情&生理談義・・・
以下は海外の生理用品事情や月経カップ、生理についての女性談義の動画です。
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